「ほっ、本当にこれに乗るの...?」 いつか報道番組か映画で見たような光景を目のあたりにして、思わず口をついた。 「そうです!でもダイジョウブ。1等席をとってるよ。こっちこっち。」 アベベに手を引っぱられながら、<帰りは飛行機にしたほうが良い>と言った昨日のアベベの言葉を思い出していた。 列車の外まで人がしがみついている。 そんな状態の中で、既に寝ている豪傑もいれば、楽しそうに食事をしている家族、はたまた人を踏みつけながら列車内で物売りを始め出すオバチャンもいて、そりゃ〜もう大騒ぎ状態なのである。 しかし、みんな楽しそう。 アベベに手を引かれるようにして到着した1等席は、肘掛け付きのゆったりしたクッションのある座席で、快適そのものであった。(快適すぎて物足りないぐらい?) 「ハラールへの中継地ディレダワにつくのは、今から12時間から24時間後だそうです」 「だそうですったって、12と24じゃあ全然違うじゃ〜ないの。エ〜?。本当に着くの...?」 アベベにあたったって、早く着く訳でもないのに、そう言わずにはいられなかった。 当然のように出発時間が来ても走り出す様子もなく、眠るのが一番と覚悟を決めた。 ハラールまでは、乗り合いワゴンで約1時間。頻繁に出ているので待つことはほとんど無かった。 1時間後、私は別世界にいた。 石作りの家々(24k)、迷路のように入り組んだ小道を囲むように周壁がそびえ立っていた。 「ハラールはイスラムの聖地。だから何もかもジンマと違うよ。きれいな町ね!」 そう、ここは紛れもなくエチオピアの都市ハラール。同じ国なのに言葉も文化も全く違うという現実をなかなか受け止められなかった。 紅海まで200kmのここハラールは、かつてイスラム勢力にとっての西漸の重要な砦であり、エチオピア侵攻の拠点であった。またヨーロッパやアラビアとエチオピアを結ぶ交易拠点でもあったのだ。 コーヒーにとってもハラールは重要なポジションを占めている。 カファ州で発見されたアラビカ種のコーヒーをおそらく世界で初めて「栽培」するようになったのが、ここハラール地方であると言われている。15世紀頃の話しである。 このようにしてエチオピアで生産されたコーヒーは、ハラールへ集積され、アッサブ港から対岸のイエメンのモカやアデン等の港を経由し、アラビアへ輸出され、それがやがてトルココーヒーに、さらにはヨーロッパのコーヒー文化へと発展していったのである。 もちろん現在もハラールはコーヒーの交易拠点としての役割を果たしており、60kgはあろうかというコーヒー豆の袋をかついだ男達の姿が多く見られる。 女性はというと、倉庫に集められた多量の生豆の山を取り囲んでワイワイガヤガヤ一粒一粒ハンドピックで不良品を選別していた。 女性の服装からもイスラムの香りがしてきます。 さあ、いよいよエチオピアを卒業して次なる国「イエメン」へと胸が高鳴ります! おまけとして、ここハラールで体験した、エチオピアの「伝統的なコーヒーセレモニー」のお話しをすることにしましょう。興味がある人は、こちら(50k)までおいでください! イエメンにはアジスから国際線飛行機に乗らなければなりません。 <イエメンを思うとワクワクものだけど、アベベにも一緒に来て欲しいなあ〜....なんてムリだよなあ〜?辛いよなあ〜、寂しいな〜、あ〜あ〜あ〜...なんて言ってサヨナラすりゃ〜いいんだよ〜?...> 帰りの飛行機の中、二人とも眠る訳でもなく、押し黙ったままでアジスに到着した。 |