第6話「月の砂漠の恋物語」


 


真っ暗な闇の中、突然眼下に現われた1本の光の帯。

何もない砂漠の真ん中にくっきりと浮かび上がったその光の帯は、整然と平行に並ぶスポットライトに照らされたイエメンの首都サナア国際空港の滑走路だった。


「5年前、珈琲研究家のガイドした時手配したイエメンのガイドに電話しといたよ。

名前はムハンマド。空港まで迎えに来てくれる。

<TAKASHI>と書いたカードを持ってる。英語通じる。珈琲のこといろいろ知ってる。

気をつけて。じゃ〜元気で!.....ありがとうございましたです。

また、いつか................きっとまた...さよなら......さよなら。」

ハラールから帰ったその足ですぐイエメンに向けて飛び発つ決心をしたのは、特に急ぐ理由があった訳ではなかった。

わずか数日を共にしたアベベとの別れを思うだけで、無性に感傷的になってしまう自分に気付いていたからである。

「ありがとう。ありがとう。本当にありがとう。また...」

知る限りの感謝の言葉をアベベに捧げようとして、結局ありがとうしか言えなかった。

初めて会ったときと同じように大きく手を振るアベベの姿が涙でかすみ、そして小さくなっていった。


タラップから降りるとそこはまさに砂漠であった。

気が付くとさっきまで眩いばかりに照らし出されていたスポットライトは全ておとされ、周りの景色を月明りだけが映し出していた。

幻想的な異次元空間のようである。不思議なことに空港ビルもイミグレーションも無く、さっきまでガヤガヤと大勢いた同じフライトの乗客の姿もどこにも見えなくなっていた。

「どうなってるんだ...?」

必死に周りを見渡すと、月明りに慣れてきた私の目に飛び込んできた文字があった。

<TAKASHI>の文字のカード。

しかし、そのカードを持っていたのは、以外にも黒ずくめの衣装をまとった女性だった。

ムハンマドとは男性だと決め込んでいた私だったが、意外な展開に興奮した。

イスラムの女性は夜分外出することは無いと聞いていたのだが...?

「ムハンマドさんですか?」

女性は私の質問に答えるでもなく、目で私を促し闇の中へと導いた。
心の中まで見透かされそうな、そんな目をした女性だった。

<きっとすごい美人に違いない>と密かに確信した私の心まで見透かされているのだろうか...?などど思いを巡らせながらついて行くと、そこにはラクダが2頭用意されていた。

先にラクダに乗った女性の目は、私も同じようにラクダに乗れと合図していた。
不思議なことに初めてのラクダに自分でも驚くほど上手に乗ることができた。

ついてくるように、目で合図を送った女性は月明りの中、砂漠へとラクダを進めた。砂漠といっても砂だけではなく、遠くにぼんやりと岩山のような影が浮かんでいた。

かつてのイエメン商人たちは、このようにして涼しくなった夜、ラクダの背にゆられながらコーヒーを運んだのだろうか?

ロマンチックな月明りの中、ラクダにゆられる女性の後ろ姿をみつめながら、かなうはずの無いイエメンでのロマンスに思いを馳せた。

どうも人恋しくなってしまったようだ。
もしかしたら、これからの数日間の間に彼女のハートを掴めるかも?

すけべ心満載の40男の胸の内を見透かされないよう、しばらく彼女と目を会わすのをためらってしまった私でありました。

どれくらいラクダにゆられただろうか?
どんなホテルへ案内されるのかといろいろ想像していたのだが、以外にも案内されたのは、遊牧民(ベドウィン)たちの住むテントだった。

彼女の後について中に入るとそこには人の気配はなく、どうやら二人っきりらしい。
荷物を部屋の角にとりあえず置いて、じゅうたんのひかれた床に腰を下ろした。

「アベベがお願いしたムハンマドさんですか?」

広々としたテントにもかかわらず、嬉しいことに私のすぐ横にすわってくれた彼女に再び尋ねてみた。
しかし、じっと見つめるだけで、返事はない。どうやら英語は通じないようだ。

<こまった。アラビア語なんてまったくわからないや...>

困惑する私の目をじっと見つめていた彼女は少し微笑むと急に背を向け、そして驚いたことに、まとっていたベールを脱ぎはじめた。

<イスラムの成人女性は家族や恋人の前以外では決して人前で顔を見せる事はない>というのが、私の知る限りの知識だったが、その事の真偽については結構自信があった。

ついさっき、初めて会った私の前でベールを取るということは、これはいったい何を意味するのだろう...?

おもむろに振り返った彼女は、やはり息を飲むほどの美人だった。
そして、全く予想もしなかった、驚くべき展開が待っていた。

「ずっと待っていました。アラーの神のお告げ通りでした...。
 ここに2杯のコーヒーがあります。
 片方はモカ・マタリ、そしてもう片方は毒入りです。においも色も味もない毒が入っています。
 必ずアナタは、毒の無いモカ・マタリを選ぶとアラーの神のおつげです。
 毒の無いモカ・マタリを一気に飲み干せば、私はアナタのものです。
 さあ、どちらかを選んで...一気に飲み干してください。」


美しく神秘的な目で私をじっと見つめ2杯のコーヒーを差し出してそう言った彼女は、そのままそっと目を閉じた。

日本語だった。確かに「アナタのもの...」と聞こえた。
しかし、「毒入り」という言葉もはっきり聞こえていた。

<なんで、ボクがこんなめにあうの? どうしても選ばなきゃ〜ダメなの?
 もし毒入りを飲んだらお腹こわすの? まさか死んじゃう訳...?
 でも、アラーの神のおつげだから、ちゃんとコーヒーのんで、そんでもって「アナタノモノ」なわけ?
 そんな〜、夢みたいな話しだよな〜? ええ〜? ほんとにのなまきゃ〜いけないの?やっぱり夢?>

私は、ほっぺたをギュ〜っと、つねって確かめてみた。..........
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................................................................................................................痛くなかった.........


イエメンの首都サナアの夜景が眼下に広がっている。
都合の良すぎる夢のような夢から覚めた私は、イエメンの地図を見ながら、コーヒーにとって重要なポジションを占めた場所を確認した。

どうしても訪ねてみたいところは、いにしえの流通拠点「モカ港」と、最高級銘柄「モカマタリ」の産地である「バニーマタル地方」だ。

15世紀後半エチオピアのアビシニア高原から世界に先駆けてコーヒーが移植され、17〜18世紀にはヨーロッパから頻繁に商船が出入りし、伝統的なコーヒー生産国として世界市場を独占したイエメンに、いよいよ到着する。

「ムハンマドが、やっぱり女性だったら.....」

正夢を期待するなというのが難しい年ごろのタカシであった。

 

 

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