第49話「とうとう倉敷まで帰ってきたよ!」
「.....という訳で、いろいろあったけど、やっとコーヒーロードを岡山までたどってきたんだ!」 「しかし、長い旅じゃったなあ〜」と、久々に登場のルモンドおじさん。 心地よいコーヒーの香りに包まれた店内に、明るい朝の光が射していた。
「今や、立派なコーヒー博士じゃなあ〜............で、とうとう地元倉敷の珈琲物語に入るわけじゃ!」 「...........」 「どしたん?」 「それが、文化都市倉敷のことだから、簡単に見つかると思ってたんだけど、全然資料がないんよ...」 「ないったって、なんかあろう...? 大原さんの関係とか、アイビースクエアーの資料館とか... 「それが、ほんまに、ないんよ! 「図書館へは...?」 「行ったよ」 「で...?」 「郷土資料のコーナーはあるんだけど、コーヒーの事が書かれているような資料がみつからないんだ」 「図書館の人に聞いてみりゃ〜ええのに...」 「もちろん聞いてみたよ。でもすぐには分からなくて、ちょっと調べて見ますって言ってくれたんだ。何か分かったら連絡くれるって...。」 「そんなら、えかったが。待ちょーりゃーええんじゃろ?」 「でも、たぶん、分からないだろうって........ 念のため、調べてみますって事なんだ...」
「で、どうするん?」 「今、片っ端から、郷土資料の文化と歴史に関わりそうな文献を一つ一つあたってるんだ。 こんな訳で肝心の倉敷の珈琲の歴史がなかなかみつかりません。 まず、調べたのは、倉敷ゆかりの人で、珈琲を最初に飲んだ人は誰かということ... 海外へ出かけて飲んだのか、それとも日本なのか? そんな事を調べるに当たって、今までの珈琲の歴史をもう一度おさらいして見ることにしました。 岡山県人で最初に珈琲を飲んだと思われる、宇田川家の蘭学者が珈琲を飲んだのは1700年代後半から1800年代の最初の頃だった。(第42話を参照してください)
この事から分かるように、当時日本で全く普及していなかった珈琲を飲む機会に恵まれたのは、研究の対象となっていたオランダ人との交流の可能性があった蘭学者(西洋医者)と考えて良いと思われる。 そこで、倉敷出身の蘭学者を捜すことにした。 倉敷図書館で蘭学に関する書籍は宇田川家に関するもの以外は見当たらなかった。 しかし、「倉敷人物百選」という資料の中に、『シーボルト門の高足 石坂桑亀』という項目を見つけた。 その中に書かれた内容を抜粋して見ると... 石坂桑亀は、1788年岡山県久米郡で生まれる。寛政12年、12才のときに 帰郷して名医として遠近に知られた。 1842年、倉敷の富豪に誘われ、倉敷に移り住み洋学を講じた。 このように、1823年に長崎に行き、シーボルトに会っている。 宇田川榕庵が最初に珈琲を飲んだ1814年から、10年もたたない1823年に長崎でシーボルトに会っている石坂桑亀。 これは、ひょっとすると、珈琲にまつわる記録が何か残っているかも...? シーボルトに関して、さら詳しく調べることにしたのでした... |