第42話「玄随が初めて飲んだのは珈琲ではなくて...」
と、電話口で津山洋学資料館の係の方... 「すいませんお待たせしました。残念ですが、うちには西賓対語は見当たりませんなあ〜」 「どこに行けば西賓対語を見せていただけるか、お分かりになりませんでしょうか?」 「まあ、確かな事とは言えませんけど、宇田川家の資料いうたら、だいたい2ヵ所にまとめられてますんですわ。まず早稲田大学の早稲田洋学文庫、そして大阪の武田薬品さんの杏雨書屋の2ヵ所です。宇田川家は跡取りがなくなって結局没落したいうんですか、まあ、当時興味のある人が宇田川家の資料を引き取っていったようなんですが、現在ではその2ヵ所にかなりの宇田川資料が保管されているんですわ...。今うちで分かるこというたらそんなところです。」 「どうもありがとうございました、教えていただいた先で調べてみます。ありがとうございました。」 「じゃ〜タカシは、武田薬品さんへ電話で確認しなはれ、わてはインターネットで早稲田洋学文庫の蔵書を調べまっさかい...」 「OK!」 「どうだったラッキー、早稲田にありそうかい...?」 「いや〜、ありませんわ............ということはタカシの方も無かったっちゅうことやね?」 「そういうこと... ああ〜どうしても見てみたいよね! ねえラッキー!...」 玄随が最初にオランダ人と対座した記録があることがわかったのに、それがみつからないなんて... そして、ここから情熱的とも言える「西賓対語」捜しが始まったのでした。 WEB CATで捜すがみつからず... やっと見つけたその史料とは この「古典研究第4巻」の中にある 「大槻盤水の西賓對晤」 森銑三著 であった。 寛政6年(1794年)4月22日に到着したカピタン一行との面会を願い出た、桂川甫周の願書から始まっていた。 その願書に同席を希望した医者の名前が5人載っている。
歴史に疎いタカシでも聞いたことがある有名な名前が列挙されていた... 確かに宇田川玄随の文字が確認できる 願書は4月29日に提出され、翌5月3日夜8時ごろ許しがでている 当時の5人の年齢は 大槻玄澤(盤水)38歳
5月4日と5日の、2日間のやり取りの記録が残っている。 大半が医学的な質疑応答であるが、4日の記述の最後の部分にタカシの興味を引き付けた記述が見つかった!
残念ながら、珈琲に関する記述を見つけることはできなかった。 第2回の対談は寛政10年(1798年)に行なわれ、この時の史実も記載されているのだが、この前年1797年に宇田川玄随は43歳にして没している。 「とうとう珈琲が出て来なかったね、ラッキー」 「でも、ワインをふるまった記録がちゃんと残っていることが分かっただけでもなかなかの収穫やんか!異人さんが日本の医学者に母国の飲み物をその席上でふるまったということは、記録は無いけど、珈琲をふるまった可能性が十分あったといえるんちゃう?」 「う〜ん、まあ..あんまりすっきりとは、いかないけど、可能性が十分あったということで今回は終わりにしようか...?」 結局、岡山県人で最初に珈琲を飲んだのは誰か?それは、いつ? どこで? わかった事をまとめると...
結局、新しい歴史の発見とはいかなかった。 なんせ、たったこれだけの結論のため、約2ヵ月、10箇所以上の図書館や資料館を訪ね歩いたのですからまあ、こんなものなのでしょう...歴代の聡明な学者の方々が究明しきれなかった史実をそう簡単に解明出来る訳など無いのでしょう...
...と、ここまで書いて一端、岡山県人最初の珈琲飲みについて筆を置いていたのでしたが... それから数ヶ月後のある梅雨空の日、一通の封書をタカシは受け取ったのでした
送り主は、津山洋学資料館の下山純正さんから... 封書の中には貴重な資料のコピーが入っていた それは.....
また、もうひとつ資料が入っていた。
觀自在菩薩樓は榕菴の書斎の名称である。 これもメモ帳のようなものと思われるが、その「茶会」の部分にこのような絵による珈琲に関連した記載が残っていたのだ。 エチオピアの珈琲セレモニーで使われていたような、取っ手のない茶碗。トルコのコーヒー器具のようなポットや砂糖入れ。 文字だけでなく、こうした榕菴直筆のイラストから当時の様子がはっきりと伝わってくる。 このような道具で珈琲を飲んでいたオランダ人から熱心に聞き出し、こうして榕菴はメモにまとめていったのだろう。
日本で最初に珈琲に関して正確にその道具のイラストを書き残したのは、津山の宇田川榕菴その人であった。 ここまで書いておいて、榕菴が珈琲そのものを飲まないわけがないとタカシは思うのでした。 まさに「味淡薄、微甘」との表現は、榕菴自身が体験し、感じたものを著わしたものに違いない! みなさんもそう思われますよね?!
下山純正さんのお手紙によると、この2点の資料とも武田科学振興財団杏雨書屋所蔵だそうだ。 貴重な資料、情報を提供いただき、感激しまくりのタカシなのでした。
さて、次なる課題は「岡山県内の地で初めて珈琲を飲んだのは誰か...?」である。 岡山で最初のカフェはいつ、どこにあったの? 何という名前なのでしょうか? そこで育まれた文化や歴史とは...?
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