第43話「岡山一番のコーヒー飲みじゃ!」 


 岡山には、明治3年にコーヒーを飲んだ人がおるんだ。大原利鎌という老人で池田家事務所に勤めておられたが、若い頃蘭学が達者だったので、東山へできた岡山県医学校の教師に迎えた和蘭人ボードウィンの、通訳を命ぜられたのである。その時分に、宿舎になってた格厳寺(御成橋の北手にあった)で、ボードウィン先生からコーヒーや葡萄酒のゴ馳走になった.......これが自慢で、『岡山では、この大原が、一番飲ミじゃろう』と、よく話しておられたと、蔵知さんから聞いている。
                               「岡山始まり物語」岡長平著より


岡山県立図書館を最初に訪ねたとき、捜していただいた本の中にズバリこのような記述があった。

その本の名前は「岡山始まり物語」

「岡長平」という岡山市出身の郷土史家の著作である。

岡長平

岡山県歴史人物事典より


「この本すごいなあ〜!」

「ほんま!コーヒーだけの歴史でもこんなに大変なのに、この本には沢山の岡山始まり物語が載ってるネ」

確かにタカシとラッキーが驚いたように、面白い記録が満載であった。
例えば「バターと練乳」「トマトとアスパラガス」「ラムネ」「アイスクリーム」「生ビール」などなど....岡山の始まり物語が面白おかしく綴られている。

岡山県歴史人物事典で「岡長平」を調べて見ると、数々の偉業を成し、文化勲章まで受賞しているすばらしい郷土史家であることがわかった。「岡山始まり物語」の他に「岡山今昔記」「岡山盛衰記」「岡山太平記」など、いかに岡長平さんが岡山を愛していたかがうかがえる著作が多く残されている。
岡山県の方々には是非一度見ていただきたい本である。


もう少し、コーヒーのところを読み進むと、こんな記述も目に入ってきた...

その他に、その時分にコーヒーを飲んだ人はなかったかと、心あたりをさがし回ったが、ついに出会わなかった。新物食いで名高い、山陽新報創立者の西尾吉太郎さんの話しでは「その時分は煎茶が大流行だったし、煎るのが厄介だから、いかなワシも、遠慮した。東山の慰留地へ来てた、医学校のベレー先生(米国人)の宅で、よばれたのが、コーヒーの飲み始めじゃ」と言っておられた。
                               「岡山始まり物語」岡長平著より

宇田川榕庵がコーヒーに関する文献を著わしてから約半世紀後、岡山の地でコーヒーを体験した人がいた。
コーヒーを商売としてではなく自分で楽しむ為に持ち込んできた外国人と、近づく機会があった日本人が最初のコーヒー飲みになったという...

おそらく、岡山だけでなく、日本各地のコーヒー始まり物語は同じように、西洋人が持ってきたコーヒーを飲ませてもらい、一番のみと自慢したことであろう...


「ねえ、ねえ! ラッキー...この文章から当時の岡山では煎茶がはやってた事や西尾さんが東山の慰留地でベレーさんに初めてのコーヒーをご馳走してもらったことがわかるけど、もう一つ面白い事がわかるね!」

「生豆で手に入れることができたっちゅ〜ことやな?」

「そうそう! 煎るのが厄介だ...ということは、焙煎していないコーヒー豆が流通していて、飲みたければ自分で焙煎していたということやね!」

「おそらく、ベレーさんのとこでご馳走になったとき、目の前でベレー先生が焙煎をしてたんやろな〜?

 『先生、豆を煎って、どないしまんねや...?』 なんて驚いたんちゃう?」

「それを言うなら『先生、まみょ〜煎って、どげんするん...?』やな!」

「そりゃ〜そうや.............
 けど、西尾はんはいつ飲んだんやろ? ほんまに大原はんより後かいな? それに東山の慰留地ってどこやねん?.....ええ? タカシは地元やから知ってんの...?」

というわけで、そこらあたりを調べに岡山市立中央図書館の郷土資料コーナーで、新たな謎探しを始めたのでした。

まず、岡山文庫の「岡山事物起源」に、コーヒーの記述を見つけることができた。

『明治3年4月、東山の医学館に赴任したロイトル・ボードウィンが、
通訳の大久保利兼にふるまったのが、コーヒーの岡山初登場だといわれている』
「岡山文庫 58 岡山事物起源」:吉岡三平編 日本文教出版社株式会社発行より

また、「岡山の食文化史年表」という本の中にも同じようにコーヒーの一番飲みについてみつかった。

『明治3年4月、岡山区東山(現岡山市門田東山公園)の岡山藩医学館教師に赴任した
オランダ出身のロイトル(Ruijter,1841〜86)、通訳の大久保利兼に
コーヒーをふるまう。岡山におけるコーヒーの始まりだといわれる。
 *ロイトルは利光院跡に建てられた医学館で約60人の生徒に解剖学、外科学、   
生理学、繃帯学などを講義。講義の内容は後に「解剖紀聞」として刊行された』
「岡山の食文化史年表」西東秋男編、筑波書房より

さらに、東山にできたと言う異人館を「目で見る岡山の明治」という本に見つけた。

東山の異人館
東山の異人館 「目で見る岡山の明治」巌津政右衛門監修より

『明治3年、岡山藩は門田の利光院跡に医学館を設け、和蘭人ロイトルを
雇い入れた。廃藩置県後医学館は岡山県に引き継がれ、後に岡山医学校
と改め、8年には英国人テーラーを、11年には米国人ペリーを教師に
雇い入れている。ペリー博士は宣教師ケレー、ペテー両博士らと来岡し
県令高崎五六の庇護のもとに岡山東山の参道下付近に3棟の西洋館を建
て、婦人たちと共に生活し、医学校に教え、伝道に従事し、日曜学校を
作るなどの多くの功績を残した。この異人館からはオルガンの音や、ラ
ンプの光がながれ、文明開化は東山よりの印象を深くした。』   
 

「けっこう記録が残っているもんやね〜... 
これで、明治3年にロイトル・ボードウイン先生が初めてコーヒーをふるまったことはたしかみたいやし、西尾さんの体験したコーヒーは、明治11年の米国人ペリー先生のことで、やっぱり最初は明治3年だね!」

「せやけど、肝心な一番のコーヒー飲みの名前が違ってるやんか!?」

「う〜ん...大原利鎌と大久保利兼か...? たしかによう〜似てるけどちがうねぇ〜.......?」


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さてさて、どちらが最初か、はたまた歴史上のミステイクか?
真相究明と、岡山で最初の喫茶店の物語は次回をお楽しみに!