第44話「大原利鎌か大久保利兼...はたまた大原利謙?」
「大原利鎌」と「大久保利兼」... 岡山で最初にコーヒーを飲んだ人を探し求めて各種文献をあたった結果、この2人が浮かび上がってきた。 そんな思いを胸に、その真実を求めて再度、岡山県立図書館へと向かった... 「まず、岡山事物起源の参考資料として掲載されている資料をあたって、どこから大久保利兼という名前を引っぱり出したのか調べてみることにするよ!」 そういってタカシは検索画面に向かった。 しかし、残念ながら参考図書11冊の資料のどこからも、コーヒーの話しを見つけることはできなかった。結局、岡山事物起源に紹介されている、大久保利兼という名前がどこからのものなのかを探せないのだ。 ロイトル・ボードウィンの話しは、いろいろと出てくるが、コーヒーの事は出て来ない。 唯一、「岡山商工会議所100年史」という本の中に、大久保利兼という名前で岡山のコーヒー一番飲みと紹介されているのを見つけたが、これは岡山事物起源を参考としたものであった。 郷土資料館のそれらしい資料を片っ端からあたってみたが、岡山最初のコーヒー飲みに関する情報は結局、「岡山始まり物語」「岡山事物起源」「岡山の食文化史年表」「岡山商工会議所100年史」の4冊にしか見当たらなかった。 視点を変えて、人物名から調べて見ると...... 郷土資料室に置いてある様々な人物事典の中で「岡山県歴史人物事典」そして「岡山市史(人物編)」の2冊に、「大原利謙」という人物が載っていた。 またまた、良く似ているがちょっと違う.....大原利鎌、大久保利兼、 人物事典に載っている「大原利謙」を抜粋して紹介すると.....
前述の4つの資料に共通しているのは、最初に飲んだ人物がロイトル・ボードウィンの通訳であったことである。オランダ人の通訳ができるということは、当時洋学に明るくなくてはならず、この大原利謙も児玉順蔵に洋学を学んでいる。 岡山経済文化史という書物に、児玉順蔵の門下生の一覧があった。 はたして、その中には大原も大久保も出て来なかった。 さらに、岡山で影響力のある活動を行なった(コーヒーを持ち込む可能性があった)最初の外国人は、まちがいなくロイトル先生であり、ロイトル先生のふるまったコーヒーが岡山の地で最初のコーヒー体験であったとする言い伝えは、説得力がある。 残念ながら、ボードウィンの通訳でコーヒーを初めて飲んだ人としての新たなる証拠資料を見つけることはできなかったが、以上の状況より「大原利謙」が岡山最初のコーヒー飲みであり、「大原利鎌」「大久保利兼」は、「大原利謙」の記述違いである可能性が非常に高いと思われる。 「こんなところやね〜、どうラッキー、真実はおそらくこんなところやろ...?」 「そうでんな〜、まあ、歴史なんちゅうもんはある種の伝言ゲームみたいなもんで、どこかで間違って伝わったらその後はず〜と間違い続けて、それが真実になっていくんやろね〜。まあ、タカシの発見ちゅ〜か問題認識はなかなかのもんやったね。わても、大原利謙が最初のコーヒー飲みやと思いますわ!」 てな訳で、自分なりに結論を出して見ました。 その一節は「光は東山から」という章の中にみつけられる.....
いかがですか? 当時の岡山人の西洋医学や異人さんとの、今から見れば微笑ましくも思える光景が浮かんで来ます。 さてさて、次に知りたいのは、岡山で最初にコーヒーをふるまったお店屋さん、そして西洋のコーヒーハウスのように文化発祥の場所として当時のあたらしモノ好きが通いつめたであろう岡山最初の本格コーヒーハウスの物語である。 郷土資料館で資料を貪っていた私の目に「カフエー発祥の地 内山下思い出すまま...」という目次の文字が目に飛び込んできた........
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岡山で最初にコーヒーで商売を始めた人はどんな人でどんな思いで始めたんだろう?
どんな名前の店で、どこにあったんだろう? はやったのかな?おいしかったのかな?
次回は、そんな疑問に完全にお答えいたします!!