第45話「岡山最初の喫茶店...?」
『カフエー発祥の地 内山下思い出すまま...』 目に飛び込んできたこの見出しは「岡山巷談」にあった。 抜粋して紹介すると...
「赤い酒...? カフェーとは書いてあるけど、コーヒーの文字が出て来ないね...?」 「そういえば、東京で最初にカフェーをなのったメイゾン鴻巣も、コーヒー専門店やなくて、軽食やお酒を出してましたな〜... このカフェー・パリーでも同じようなもんやったんやろか?」
岡山文庫の岡山事物起源という本に、もう少し詳しい
「やっぱり、コーヒー専門店という訳ではなかったんや! と、ラッキーに聞かれたのだが... それより、カフェー・パリー以前の明治30年頃紙屋町にできたというミルクホールが気にかかっていた。そして、このミルクホールのことと思われる資料を岡山事物起源にみつけた!
「やったやんか! やっとコーヒーの文字が出てきたね! 「だけど、どうしてたった3ヵ月でお店を閉じちゃったんだろう...?」 「そりゃ〜、岡山には早すぎたんとちゃう...?」もっともそうなラッキーの意見だったが... 「もう少し、この広瀬ミルクホールについて調べてみようよ...どんなコーヒーだったのか、いくらで売っていたのか、なにか解るかもしれないよ...?」そう言って、新たな資料を捜してみたのだった... 『おかやま表町風土記:岡長平著』にも、広瀬ミルクホールが出ていた。 それからわかった事は、開業日が明治40年7月15日だったこと、そして、若夫婦でやっていた小ざっぱりした店であったこと、岡山のインテリ連中が利用していたことなどであった。 残念ながら、それ以上の事は書かれてなかった。 次なる目標として調査したのは、岡山で愛されてある程度存続し、文化的・歴史的影響を与えた喫茶店だ。以前県立図書館で紹介していただいた岡山始まり物語に「カフェー・ブラジル」の文字をみつけた。 そのぺージを開くと、意外にもそこに広瀬ミルクホールの文字があった。 同じ岡長平さんの著作だったので、おかやま表町風土記以上の情報は無いものと思っていたが、さらに詳細な広瀬ミルクホールの情報が記載されていた。 新たにわかった事は 明治40年7月17日の山陽新報に開店の記事が出ていたこと。 以上だった。 さらに読み進めると、「カフェー・ブラジル」こそが、岡山において様々な歴史上の舞台となり、実質上の最初の本格的喫茶店として大正時代に登場したことを知ることができた。 私はある疑問を持っていた。 たしかに、数々の郷土歴史家の方々は岡山最初の喫茶店として広瀬ミルクホールを挙げておられるが、本格的とは言えないまでも、何らかの形で珈琲を提供していた店があったのではないだろうか? 明治3年に岡山で最初の珈琲飲みと宣言した大原利謙から、広瀬ミルクホール開店の明治40年まで、岡山で約40年もの長い間、コーヒーを飲むという文化が全く普及しなかったとは思えなかったのである。 その第一の理由は、明治24年(1891年)の倉敷までの鉄道(今の山陽本線)の開通である。 東京や大阪から、鉄道の開通によって様々な情報が入ったことだろうし、旅先で珈琲体験をした人もいたのではないだろうか?そんな交流が進んでいた明治時代、珈琲を提供しはじめた店があっても良いのではと疑問を持ったのだった。 珈琲を提供したのでは...と私が考えた最初の候補は、西洋料理屋だった! |
岡山最初の喫茶店は広瀬ミルクホールであった。確かにコーヒーを提供していた。
しかし短命に終わり岡山にコーヒー文化を提供するまでには至らなかったようだ。
岡山で最初に料金を取ってコーヒーを提供した店はもっと以前に存在していたのでは?
そんな疑問を持ったタカシがさらなる調査を試みました。はたして.....それは次回に!