第25話
「焦げくさくして味ふるに堪ず」
さて、ラッキーの想像ではなく、歴史上日本でコーヒーを
最初に飲んだとされる人が誰かということを著わしている
資料はというと...
「ツンベルグ江戸参府紀行」1776年がある。
これは、オランダ船医として来航していたスエーデンの
医学者カール・ペテル・ツンベルグの日本体験記であり
「2〜3の通詞が珈琲の味を知っている」という記述が残る
「確かにこの資料に遊女の珈琲体験は載ってまへん。 当時、オランダ人からプレゼントをもらった遊女の記録が残ってます。 「そうだな〜、当時日本になかった、遊女が喜びそうなものといえば...........?」 「まあ、なんでも珍しくて喜んだやろけど、記録に残っているのはこんなもんやったねん... * ガラスビン どや、なかなか、おもろいやろ。」 「江戸時代にチョコレートとコーヒーとは、驚きだよネ! 「そうゆうこっちゃ! さらにもう一つ、「引田屋文書・1820年」という資料にも、珈琲に関する記録が残ってるんや。 引田屋は当時丸山にあった有名な遊廓で、現在も料亭「花月」の名で営業してはります。 * コーヒーカン(コーヒーポットのことであろうといわれている) という記述がありますねや。」 「コーヒーポットを貰っていたなら、遊女もコーヒーのたてかたを知っていたということだよネ?ただ飲んだことがあるというだけじゃ〜なくて、コーヒーをたててあげていたんだ?!」 「この引田屋さんに関しては、これ以外にもおもろいエピソードがありますねや。 実は、ここの2階の、山陽の間の床柱の刀キズを付けたのが、あの有名な坂本竜馬。 しかし、それ以外にコーヒーに関することで、この引田屋さんはもう一人の有名人に関係があります。 その名は「蜀山人(大田南畝)」 江戸時代の幕臣、戯作者、狂歌師、儒学者として幅広い文化活動を行なっていた人です。 その蜀山人はもう一つ、当時のグルメとしても有名人やった。 ここで、食通でもあり、酒好きでもあった蜀山人のエピソードをひとつ... 蜀山人がいつものように冷や酒をたらふく飲んで橋に座り込んでいると、 「酔伏してへどをつき(月)夜であるものを、食らい酔い(暗い宵)とは誰か言ふらん」 こよなくお酒を愛した彼ならではのエピソードでっしゃろ。 この食い道楽蜀山人がコーヒーの歴史上貴重な資料を残してくれてます。 「食通ぶって、<なかなかのものである...>なんて言ってるんじゃあない?」 「原文を見せたげるわ」 紅毛船にて「カウヒイ」といふものを飲む、豆を黒く炒りて粉にし、 「残念ながら当時の日本人、それもかなりの食通である文化人をもってしても、焦げ臭くて飲めたものではなかったようやね。」 |
1641年、出島のオランダ商館設立以降、確かにある特別な日本人に
紹介されたコーヒーではあったが、一般的においしい飲み物として普及
するまでには、約2世紀もの年月を超え、文明開化を待つことになったのであった。
日本人になかなか受け入れられなかったコーヒーではあったが
その導入に大きな影響を与えた人物の歴史が語り継がれている
次回、黎明期から啓蒙期へと変遷する日本を探ります。