第26話 「日本で最初の喫茶店」
江戸時代に日本に伝来したコーヒーは、長崎の出島に出入りする
少数の限られた人々に飲まれただけで、その普及速度は遅々とし
て捗らず、鎖国から開国へと大きく時代が移り変わる時期を待つ
こととなった。
しかしその代わり、渡来してきた異邦人との交流の中で蘭学熱が高
まり、コーヒーを飲み物として利用するよりコーヒーを手掛かりと
して西洋文明吸収へ向けての旺盛な好奇心をかきたて、コーヒーに
関する著述活動がきわめて活発に行なわれたのである。
「確かに長崎から「江戸参府」ゆうて、貿易許可のお礼として、オランダ商館長が館員と医師を連れて将軍に物品を謙譲するため江戸まで赴いていたという歴史はあります。 「なるほどね。開国したら一気に海外から外国人とコーヒーが押し寄せてきたんだろうか?」 「いまんとこ確認できる資料としては、コーヒー輸入通関記録が残っていますナ。 明治10年以前では金額しか記録がなく、概算して見ると、少ない年で0.12トン、多い年で年間5.4トンといった程度で、これでは日本人大衆に普及した量とは言えませんナ。 しかし、明治10年には18トン、20年には48トン、30年には64トン、40年には76トンと急速に輸入量が増えてまっさかい、このあたりまできたら一般人まで普及しはじめていたと言えるんちゃうやろか...?」 「そうだネ。 「記録として残っているのは、明治2年(1869年)に発行された「萬国新聞」の新聞広告でんねや。横浜にいたエドワルズさんがその第15号にコーヒー販売広告を掲載してます。 「横浜裁判所向 八十五番 エドワルズ 生珈琲並焼珈琲」 という、短い宣伝文を載せました。これが現存する最古の日本最初のコーヒー販売広告や!」 「何となくわかる気がするけど、生のコーヒーと並の焼いたコーヒーって、いま一つピンとこないな〜?」 「そうちゃいまんがな。 「ところで、日本人がコーヒーで商売をしていたという記録はないの...?」 「記録としてはっきり残っているのは、明治8年(1875年)1月の「郵便報知新聞」が次のように報じてます。 東京府南槇町三番地泉水新兵衛氏は、横浜本通りフランス五十六番シイノキリ氏伝習大器械を以てコーヒーを製造、其種及び其精味を極め、かつその価を廉にして売り出す とあり、器械を使った本格的な焙煎豆を広く一般人へ普及させようとした、日本人による日本初のコーヒーの販売といえるんちゃうやろか? 「ということは、日本ではコーヒーハウスの普及より家庭での飲用が先に普及して行ったと言えるんだネ?」 「まあ、開国と同時に日本にやってきた外国人は既にコーヒーを飲む習慣があって、自分で必要なコーヒーは自分で持ち込んだと言うのが当たりやろナ? 明治5年頃には、日本人の経営による西洋料理店も開かれ、築地や横浜にできたホテルなどでもコーヒーは提供されていたようやけど、コーヒー専門店ではなっかったみたいやネ。」 「じゃ〜、日本で最初のコーヒーハウス(喫茶店)と言えるのは、どこのどんな店なのラッキー?」
明治7年創業の神戸元町の放香堂や! その営業内容を証明する資料として、明治11年(1878年)12月26日付けの「読売新聞」に次のような広告を載せとります。 焦製飲料のコフィー弊店にて御飲用或は粉末にてお求め共に御自由
つまり、この神戸元町の放香堂さんでは、当時、焙煎した豆を挽いて売っていたし、そこで飲むこともできたというこっちゃ。」 「そうか、神戸か。
明治19年11月に、「洗愁亭」が東京日本橋にオープン しかし、これらのどの店もその様子も、どのようにしてコーヒーを飲ませたのかも、解ってません。後にも先にも各々たった一つの記事だけがその歴史を示しているだけで、庶民に十分喫茶店として認識されたと確信が持てる情報は存在してません。
本格的珈琲店として日本最初と言えば知る人ぞ知る、「可否茶館」!! ここを通らずして、日本のコーヒーの歴史は語れまへん......。」 ますます絶好調のラッキーの講釈は続いた.....
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