第16話
ナポレオンなくしてエスプレッソは生まれなかった!...本当?
「私はお前をカフェ・テデスコ(ドイツカフェ)と名付けたい。ドイツ人の集う所よ。
お前は芸術の秘密の集会所だ。そこではギリシャ人とドイツ人が一つのテーブルを囲んでいる。」
「ねえ、誰なの?あの大きな声でドイツとかギリシャとか言ってる髭のおじさんは? 「残念ながらゲーテじゃ〜ありまへん。後のバイエルン王ルートウィヒ1世です。彼が言うようにこのカフェは多くのドイツ人で賑わっていたようなんやけど、その名前はなぜか<アンチコ・カフェ・グレコ>いいます。 おそらく開祖がギリシャ人やったから、こんな名前がついたんやろけど、ここが今にその名を伝える超有名カフェ「カフェ・グレコ」という訳ですわ。 この店は1760年、スペイン広場から西南に延びるヴィア・コンドッティ86番地に開店したゆうのが定説となってます。 18世紀当時、ローマは訪れる外国人が圧倒的に多いヨーロッパ随一の国際都市でした。 しかし、当時のカフェいうたら、イギリス人たちが贔屓にしていたカフェ・イングレーゼやトルコ人たちのお気に入りカフェ・トゥルコみたいに、ある特定の人々が集う集会所のようなもんで、カフェ・グレコも間口は狭もうて暗ろうて、小そうて、みすぼらしい旅篭兼用のカフェでした。 ここカフェ・グレコにドイツの文豪ゲーテが、1786〜1788年のイタリア滞在期間中よく顔を出していたという話しは有名で、彼の文学に大きな影響を与えてるといわれてます。 残念ながら彼の文章中にこの素晴しいカフェに関する記述を見つけることが出来ないんやけど、いつもゲーテと一緒にローマで過ごしていた歴史家のモーリツの著作アントーン・ライザーから知ることが出来ます。 しかし、しかし、しかし、残念ながらカフェ・グレコでコーヒーをすすりながら、かの「エドモンド」や「タウリス島のイフィゲーニェ」を書き上げたかどうかは、誰も知るところではありましぇ〜ん。」 「な〜んだ、結局はゲーテも一人の客だったというだけで、後世のカフェに大きな影響を与えた訳ではないんだね。」 「後世のカフェに影響を与えると言うより、当時のカフェに大きく影響を受けて後世に残る様々な作品が生まれた言うて欲しいな! 「ナポレオンって当時どんどん勢力を拡大していた時代だよネ?」 「そう、ヴェルリンに入場してすぐの時やった。1806年、ナポレオンは主にイギリス製品をボイコットするため大陸封鎖令を発したんや。これによって植民地から砂糖と共に珈琲豆が来なくなってしまいヨーロッパの珈琲豆がどんどん無くなってしもうて、潰れるカフェさえ現われ出したんヨ。」 「それで...?」 「カフェ・グリコの3代目のオーナー<サルヴィオーニ>は、苦肉の策としてコーヒー茶碗の大きさを3分の2にし、コーヒーの量を減らし値段を下げて必死で対応したんですわ。 小さめのカップで飲むということでは、このことがエスプレッソの起こりであり、これが大当りしてカフェ・グレコは小さなサロンをいくつも造り、絵を掲げ、ヴェネチア風に大きく立派に豪華になったという歴史がありまんねん。 奇しくも100年後の1906年、ミラノ万国博覧会にエスプレッソ用の機械が出展されています そのパテントを買い取ったデジデリオ・パボーニ氏が<ベゼラ>という名前で万国博覧会に出展した訳です」 「なるほどネ〜。イタリアのカプチーノやエスプレッソ等の今に伝わるコーヒー文化の背景には、あのナポレオンが絡んでいた訳だ。なかなかおもしろいネ!」 「さて、ヴェニスの商人で有名なヴェネチアにヨーロッパで最初にコーヒーが伝わった事が解ったところで、イタリアの次に伝わった国に行ってみたいやろ?」 「もちろん!次はどこなの?」 「次に訪れるのは<マルセイユ>フランスや!いつの時代かはお楽しみ。
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さてさて、次なる国はフランスに決定!
大きく花開いたフランスのコーヒー文化に迫ります。