第15話
現存する最古の喫茶店!それはかの有名なフローリアン
でも、本当の名前は違っていた...?
「ねえラッキー。ここはどこ?いつの時代?」大勢の人で賑わう美しい広場に私は来ていた。 「時代は1720年、サン・マルコ共和国の中心サン・マルコ広場ですな。 「『ヴェネチア・トリオンフォンテ(勝ち誇るヴェネチア)』どうです?いい名前でしょう! この男この時には、このコーヒーハウスが「カフェ・フローリアン」として21世紀までも営業を続ける世界的に有名な店になることなど知る由もなかったのである。
「一歩前へ!いいか、一生懸命やること。礼儀正しくし、スピーディーなサービスを心がけること。カフェの人気はボーイの出来に大きく左右されるのだからな。」 「分かります。しかしご主人様。正直に申せば、朝早く起きるのはけっこうきついのですが...」 「だが、やってもらわぬ訳にはいかん。絶対早起きしてくれ。 「本当に大笑いしてしまいますよね!今じゃ〜労働者までコーヒーを飲みに来るんですから。」 「誰でも回りの人のまねをするのさ。前は焼酎がブームだったが、今やコーヒーコーヒーだ。 「ゴルドーニはこの喜劇をヴェネチア・トリオンフォンテでも上演してんねん。 「いつから、フローリアンという名前に変わったの?どうして変わったの?」 「それじゃあ、40年後の1760年に行って見ましょう」ラッキーはそう言ってマンデリン号に乗り込んだ。 1760年、コーヒーハウスヴェネチア・トリオンフォンテの中で... 「はっはっはっ!やはり、ここが一番。さあみんな、第2号のアイデアを出してくれ。」 「あの声の大きい男が、編集長のゴッツィです。編集会議の真っ最中といったところでしょうな。彼の雑誌『ガセッタ・ベネタ』がその第1号で『カフェ・フローリアン』(当時お客はヴェネチア・トリオンフォンテの事をすでにこう呼んでいた)を絶賛し、スタッフを会社の編集部よりもここカフェ・フローリアンへ集めたことが、ここが決定的に流行るきっかけになったんですわ。マスコミの力はいつの時代もすごいでんな〜。 「それは、いつ?なぜ?」早く教えて欲しいのに...はやく! もったいぶって、ラッキーは話し始めた 「なるほどネ〜。今も残るカフェ・フローリアンにそんな歴史があったんだね。 「もう、いい歳こいてミーハーなんやから。ここカフェ・フローリアンが名実共に世界的な名声を保持し続けたのは、単に有名人が訪れたというだけなんかじゃありませんでぇ〜。 「あるか?って、時代が違うやん。せやけど、ようわかったわ。やはり、単なる喫茶店ちゅ〜訳じゃなかったって事だよね。それで、有名人は?」 「ほんまにもう...。誰に会いたいの?スタンダール?ロッシーニ?カノーバ?ジョルジュサンド? 「ごめんごめん。そんなに怒らんでヨ。僕でも知っていて、現在に大きな影響を及ぼしている、そんな人にあってみたいんだ。」 「まあ、タカシでも知っている芸術家となると、バレンチノの息子パルデリによってフローリアンが大幅に拡張改装したあとの時代やろな〜?それまで、フローリアンは今のように美しくエレガントな喫茶店とちごうて、天井は低く地味で飾り気がなく、窓もなく、かすかな灯火がぼんやりと室内を照らすような、そんな場所やったねん。 「........うん...。」口惜しいけど見当もつかなかった。今から150年も前のことである。 「実は、絵画や壁画を海の湿気を含んだ空気やたばこの煙から守るために、すべてをガラス板で覆い尽くすということを実行したの。すごいやろ。このおかげで、今も当時のまんまの雰囲気のなかでコーヒーが飲めるっちゅうわけやね......チョット高いけど。 そして、改装後すぐに現われた有名人の一人に作曲家のワーグナーがおったな。かれは、毎朝ちょっとした朝食をとりに来ていたようやね。 有名どころを挙げると、フランスの文学者プルースト、アナトール・フランス、画家のモネ、マネ、ドイツ人ハイネ、ニーチェ、そしてオーストリア人リルケなどなど...まだまだいくらでも際限がないほどでんな!」 「地元イタリアの芸術家では誰が有名なの?」 「いっぱいいてるけど、特に名前を挙げるなら、ダンヌンツィオかな?」 「誰それ?聞いたことないよ」 「国際的美術展ビエンナーレやったら聞いたことあるやろ?カフェ・フローリアンで友達とわいわい激論を交し、世界的な美術展の必要性を熱く語り、今日のビエンナーレまで発展させたのがダンヌンツィオやねん。ここカフェ・フローリアンという場所から生まれた素晴しいアイデアが今に引き継がれている一つの例やね。ちょっとタカシには難しすぎたな。では、イタリアン・カフェのファンとして超有名な人物を訪ねることにしよう!この人ならタカシも知ってるはずだからね。」 マンデリン号に乗り込んだラッキーが命じた時代は1786年、場所はローマのカフェ・グレコ。 もうもうとけむるタバコの煙り。 なんと、そこにやってきたのは、一番有名なドイツ人「オリュンポス神:ゲーテ」だった。
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イタリア滞在中の2年間、ゲーテも通ったカフェ・グレコ
スペイン階段の足元コンドッティ通りに面したそのカフェの魅力に迫ります。