アジアとヨーロッパの交差点ここトルコで花開いたコーヒー文化は、まずどこの国へと伝わったのでしょうか?
えっ? もうトルコの話しは終わりかって?
そりゃ〜トルコには、ぜひ知って欲しい<カッパドキア>や<パムッカレ>など沢山の有名な場所がありますけど、その情報は、ルモンド厳選リンクコーナーに任せたいと思います。
トルコの申し子の様な方々の素晴しいホームページでたっぷりと堪能してください。
エチオピアからイエメンまでは日本にあまりなじみが無い国でしたので、コーヒー情報以外の旅の醍醐味を織り混ぜてお伝えしてきました。
しかし、トルコからヨーロッパ各国及びアメリカの現状については、もう十分皆さんの方がご存じでしょうし、情報盛りだくさんのページがたくさんありますのでそのホームページの紹介に止めておき、私はコーヒー情報中心に物語りを進めていこうと思っています。
また、エチオピア-イエメン-アラブ-エジプト-トルコと、おおよそ一本道で繋がってきたコーヒーロードも、トルコからは様々なルートで同時並行的にヨーロッパ各国へと伝播していきます。
つまりヨーロッパ各国へはトルコを起点として、複数の道を通じて広がっていくことになったのです。
これからは、現在のヨーロッパではなく、コーヒーが初めて伝えられた17世紀半ばから、コーヒーハウス全盛期を向かえる18世紀〜19世紀へとタイムマシンに乗って旅をしてみたいと思います。
なんせ、コーヒーを語る上で決して欠かすことができない重要な部分。
そう、中世ヨーロッパで育まれた文化・芸術にいかにコーヒーがかかわってきたか?...
その時代を訪ねて、あの有名な芸術家や思想家達にぜひ逢いたいと思うのです。
では、タイムマシンにのって出かけましょうか!
ここは、ベネチア。時は1615年。
「マンデリン号」と名付けたタイムマシンの性能は計り知れず、コンピュータにインプットされたコーヒー情報に基づいて自動的に時代と場所を決定し私を運んでくれる。
一人旅では寂しかろうと、高性能ロボット犬の「ラッキー」が一緒だった。
実はタイムマシンのコンピューターとラッキーの電子頭脳は直結しており、ラッキーと私の会話を元にタイムマシンのコントロールが制御されるという仕組みであった。
解りやすく言うと、ラッキーはコーヒー情報に関してはパーフェクトで、ラッキーに「***へ行きたいなあ〜」というと、その時代の適当な場所へあっという間に行くことができるというわけである。
つまり、夢のような楽しい乗り物なのである。
「ところでラッキー、まず最初にどうしてここベネチアに下りた訳?」まずは聞いて見た。
私の目に飛び込んできた風景は、荷物の上げ下ろし作業でごったがえす舟でいっぱいの運河だったのだ。
「あそこに男の人がすわってはるでしょ?見えますか?.....そうそう、あの青と白のシャツを来てはる人。あの人はマリオ・スキバーニいうて、ここヴェネチアっ子ですわ。」
言い忘れたが、私の個人的な趣味でラッキーは<関西弁を使いこなす犬>という設定にしてあった。
「マリオが今手紙を受け取ったでしょう?その手紙が問題なんですわ!ちょっとあんさん見てきてみなはれ。」
<関西弁の設定がこてこてすぎたかなあ〜?まあいいか?>私は言われるままにマリオに近づいてみた。
マリオが手にした手紙は、イタリアの著名な旅行家でマリオの友達のピエトロ・デラ・ヴァッレからであった。その手紙はトルコのコンスタンチノープルからで、その手紙を読み終えたマリオは大声で笑い出した。
「何を今さら言ってきたのかと思えば、コーヒーの事じゃーないか。コーヒーがどんなものかぐらい、みんな知ってるのにさぁ〜。」マリオが大きな声で回りの友達に相槌を求めた。
その手紙を覗いてみると...
<親愛なるマリオへ。今日はトルコの不思議な飲み物について教えよう。
トルコ人は黒い飲み物を飲んでいる。それは、夏は身体を涼しくさせ、冬には暖めてくれる。火から下ろした熱いものを、時間をかけて飲む。夕食事という訳ではなく、友人と語らいながらゆっくりとすすりながら飲み、談笑する姿を見かけると決まってその飲み物がある。これは、カフェ(cahue)という木の実を使って作る。ヴェネチアへ戻るときには持ち帰り、この飲み物を教えてやろうと思っている。>
「ヴァッレは、まだヴェネチアでは誰もコーヒーの事を知らないと思っているのに、もうみんな知っているようだね。実際はいつ頃どうやってコーヒーがヴェネチアに伝わったの?」
ラッキーに聞いてみた。
「ほんまは、コンスタンチノープルから西ヨーロッパに伝わった時期を特定するなんてごっつうむつかしいことやねん。一応そのころ、メチャクチャ商売が繁盛しとったのがヴェネチアいうことやから、まずそこに伝わったことは間違いないんとちゃうかなあ〜ていうことになっとります。<ヴェニスの商人>思い出したらなんとのう納得でっしゃろ。」
ますます、こてこて のラッキーだった。
「まあ、<ヴェニスの商人>は確かに当時の繁盛振りを想像するのに不足はないけど、具体的に伝わったという歴史上の出来事はなんかないの?」
「マンデリン号に乗ったって!さあ、はよう!」
ラッキーは性格も関西系なのか少々せっかちであった。
慌てて乗り込んだとたんに、回りの景色が水飴のように流れていき、そしてあっという間に具体的な形に変わった。
「ここは1585年のヴェネチアの評議会の会場ですわ。今ちょうど、コンスタンチノープルにいるヴェネチア大使のジャンフランチェスコ・モロシーニから送られてきた報告書が披露されるところでっせ。ちょっと聞いてみましょ!」
<報告書。トルコの飲み物について。
トルコ人は「カヴェ(cavee)」と呼ばれる火傷を負うほど熱く黒い水を飲んでいる。
それは人に活力を与えると言われている>
「なるほど、すでに話としては1585年にコーヒーの事は正式に報告されていた訳か...」
「そうゆうこっちゃな。せやけど一般的にコーヒーがイタリアで飲まれるようになったのは、ず〜と後の1645年いうことになっとんねん。この話しには確固たる裏付けが無いからなんとも言えんけど、1645年にイタリア最初のコーヒー・ハウスが開業したということになってて、コーヒー・ハウスができるぐらいやからもうみんなそこそこコーヒーを飲んどったやろな〜てことやね。」
「なるほど。で、次はどこに連れてってくれるのかな?」
「もちろん、チョ〜有名なサン・マルコ広場界隈の歴史的なカフェめぐりやね!
そこで誰に逢えると思う?17世紀〜18世紀のイタリアはおもろいでっせ!
さあ、はよう乗って!おいてくでぇ〜.....」
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