第9話「ヤーバーン・タマーム」
イエメンの石作りの家はだいたいどこも同じ様な内部構造になっているそうだ。 7階は「マフラージ」といって、応接間である。最上階にあるマフラージには、上等のじゅうたん&マットレスと肘かけが用意されており、大切な客のもてなしに使う。
「これは、マッザといって、食欲増進用の前菜です。ザバーディーというヨーグルトのドレッシングをつけて食べてください。」 アリーが説明してくれたマッザとは、キューリ、大根、たまねぎ、かぶら、にんじんなどを大きめに切ったものだった。そして、つぎつぎと出てきたもてなしの料理は、「あっさり味の、野菜の煮物。」「焼き飯とその上に乗せられていたのは、とりのもも肉かな?」「薄味で煮込んだ羊肉のぶつ切り。」そしてそして、特別のお客様用ということで出していただいた、「スープの中におもちのようなものが沈んでいる食べ物。」指先を熱々のスープの中に突っ込んで、もちのようなものをちぎって食べるのである。 食後には私のリクエストに答えてイエメンコーヒー「ギシル」を出してくれた。 偶然にも貴重な体験ができた。 ムハンマドが運転したのは、ランクルだった。しかし、すれちがう4WDの大半がランクルなのには驚いた。自動車だけでなく電化製品の日本製の占める比率も非常に高いということだった。 「ヤーバーン・タマーム」ムハマンドが運転しながら大きく叫んだ。 その後、幾度となく耳にしたこの言葉は「日本はいいね!」といった感じの言葉のようである。 さて、サナアから一路ホディダへ向けて西へ走ると、標高2000m級の山々の斜面をまるで天にでも登るつもりかと思いたくなるような、素晴しい段々畑が見えてきた。貴重な雨の水を有効に使う為、数百年の歳月をかけて守られてきたこの段々畑は、芸術品のように美しく荘厳な印象を与える。 そして、いよいよ、モカ・マタリのふるさとバニーマタル地方へ到着した。 そこでは、自営農家が細々とコーヒーを育てているが、イエメンのもう一つの嗜好品のカート畑に急速に変換されており、ますますモカ・マタリは貴重品となっていくようである。 さて、バニーマタルを後にして、マナハを抜け一路ホディダへと西へ向かうと、すさまじい九十九折の道に遭遇する。 前にも述べたが、わずか直線にして50km足らずの距離で、標高差約2000mを下るのである。 九十九折に差し掛かってすこしたっただろうか、なんと豆粒大の雹(ヒョウ)が降ってきた。 やがて、氷が雨に変わった。雨といっても、ワイパーが約に立たないほどの激しいもので、さすがのムハンマドも車を道の脇に止めてカートを噛みながら休憩を決め込んでいた。 10分程たっただろうか、やっと雨脚が弱くなった。しかし、いっこうにムハンマドは出発しようとしないでのんびりとくつろいでいる。 「こんなひどい雨の後は、大きな岩が上から転がり落ちてくる危険があるから、すぐに動き出すのは危ないのです。」 なるほど。郷に入っては...というが、ここはムハンマドに任せるしかないと妙に強く感心してしまった私であった。 ホディダに到着したときはもう日がとっぷりと暮れており、どうしても行ってみたかったモカに着いたのは、翌日の昼前だった。 そこには、モカ港の栄華を見守ってきたモスクがひっそりとたたずんでいた。
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次回、モカのたどった運命を紐解きます。