第9話「ヤーバーン・タマーム」


アリーの家


ムハンマドの友達の名前は「アリー」

二人は手をつないでアリーの自宅へ向けて歩き出した。(イエメンでは男どうしで手をつなぐ行為は日常良く見受けられる光景で、決してホモだちということではないそうである)

同じ様な石作りの家々の前を通りすぎ、一軒の立派なお宅に到着した。

イエメンの石作りの家はだいたいどこも同じ様な内部構造になっているそうだ。
入り口は狭く、入ってすぐの一階は窓もなく真っ暗で、目が慣れるまでは身動きできなかった。

ここは家畜を飼っている場所なのだ。土地の狭いイエメンでは各家庭の家畜小屋などなく、どの家庭も家畜と一緒に生活している。目がやっとなれてきたので石を重ねて作ってある階段を登ると天井の低い2階に出た。ここは、小さな窓があるだけで薄暗い。どうやら物置であった。3階、4階と急な階段を上がって行き7階まで登ったときには息が切れ、標高2300mの空気の薄さを実感することとなった。

マフラージ7階は「マフラージ」といって、応接間である。最上階にあるマフラージには、上等のじゅうたん&マットレスと肘かけが用意されており、大切な客のもてなしに使う。

「部屋にはいるときには靴を脱ぐ」という日本人にはありがたい習慣もある。イエメンではこのような居間で食事をし、くつろぎ、就寝するのである。


いわれるままに車座になって座っていると、その真ん中に、野菜を盛った大きな皿が運ばれてきた。

「これは、マッザといって、食欲増進用の前菜です。ザバーディーというヨーグルトのドレッシングをつけて食べてください。」

アリーが説明してくれたマッザとは、キューリ、大根、たまねぎ、かぶら、にんじんなどを大きめに切ったものだった。そして、つぎつぎと出てきたもてなしの料理は、「あっさり味の、野菜の煮物。」「焼き飯とその上に乗せられていたのは、とりのもも肉かな?」「薄味で煮込んだ羊肉のぶつ切り。」そしてそして、特別のお客様用ということで出していただいた、「スープの中におもちのようなものが沈んでいる食べ物。」指先を熱々のスープの中に突っ込んで、もちのようなものをちぎって食べるのである。

食後には私のリクエストに答えてイエメンコーヒー「ギシル」を出してくれた。
コーヒーの味はまったくせず、日本茶の玉露のような印象を私は受けた。

偶然にも貴重な体験ができた。

アリーにお礼を言って、さあ、バニーマタルへ向けて出発進行!


ムハンマドが運転したのは、ランクルだった。しかし、すれちがう4WDの大半がランクルなのには驚いた。自動車だけでなく電化製品の日本製の占める比率も非常に高いということだった。

「ヤーバーン・タマーム」ムハマンドが運転しながら大きく叫んだ。

その後、幾度となく耳にしたこの言葉は「日本はいいね!」といった感じの言葉のようである。

数々の日本製品が輸入されているイエメンでは、優れた製品を作る技術を持った日本はある意味でのあこがれであったり、目標であるのだろう。私が日本人であることが解るとたいていの人が「ヤーバーン・タマーム」といって、笑顔を見せてくれた。

段々畑さて、サナアから一路ホディダへ向けて西へ走ると、標高2000m級の山々の斜面をまるで天にでも登るつもりかと思いたくなるような、素晴しい段々畑が見えてきた。貴重な雨の水を有効に使う為、数百年の歳月をかけて守られてきたこの段々畑は、芸術品のように美しく荘厳な印象を与える。

そして、いよいよ、モカ・マタリのふるさとバニーマタル地方へ到着した。

コーヒー畑そこでは、自営農家が細々とコーヒーを育てているが、イエメンのもう一つの嗜好品のカート畑に急速に変換されており、ますますモカ・マタリは貴重品となっていくようである。

さて、バニーマタルを後にして、マナハを抜け一路ホディダへと西へ向かうと、すさまじい九十九折の道に遭遇する。

前にも述べたが、わずか直線にして50km足らずの距離で、標高差約2000mを下るのである。
九十九折ではなく、九百九十九折以上である。そこを80km/h程のスピードで走るのだから、ジェットコースターなんて問題外。なんせ、命懸けである。道のあちこちに自動車の残骸が転がっていたが、その理由をムハマンドに聞く気にはならなかった。

九十九折に差し掛かってすこしたっただろうか、なんと豆粒大の雹(ヒョウ)が降ってきた。
標高の事を考えれば、どうってことのない現象なのだが、やはりアラビアには不釣り合いの気がしてならなかった。先入観とは恐ろしいというか、いいかげんというか...?

やがて、氷が雨に変わった。雨といっても、ワイパーが約に立たないほどの激しいもので、さすがのムハンマドも車を道の脇に止めてカートを噛みながら休憩を決め込んでいた。

10分程たっただろうか、やっと雨脚が弱くなった。しかし、いっこうにムハンマドは出発しようとしないでのんびりとくつろいでいる。

「こんなひどい雨の後は、大きな岩が上から転がり落ちてくる危険があるから、すぐに動き出すのは危ないのです。」

なるほど。郷に入っては...というが、ここはムハンマドに任せるしかないと妙に強く感心してしまった私であった。

ホディダに到着したときはもう日がとっぷりと暮れており、どうしても行ってみたかったモカに着いたのは、翌日の昼前だった。

そこには、モカ港の栄華を見守ってきたモスクがひっそりとたたずんでいた。

 

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次回、モカのたどった運命を紐解きます。