第39話「ケンプエル江戸参府紀行」
宇田川榕庵が確かにコーヒーに関する文献を書いたことがわかった。 * 江戸参府をしていたオランダ人一行は本当にコーヒーを持っていたのか? こんな疑問の解決のため、オランダ人が残した資料を求めて岡山大学へと急いだタカシだった。 |
「なつかしいなあ〜...何年ぶりかな...? 学生じゃ〜なくても入れるのかな...?」 「最近は開かれた大学とかで、ほとんどの大学が図書館を解放してまっせ! ラッキーの言う通り、親切に対応していただき、簡単に利用させてもらえることとなった。 めざす資料は検索システムを使って以外と簡単にみつかった。 「あった、あった、ラッキーこっちだよ! 分厚い本やな〜」 「ほほ〜...こりゃ〜年代もんでんな〜、背表紙がだいぶくたびれてまっせ。 いにしえのロマンが漂ってきそうな表紙を開くと、古本独特のにおいが鼻をついた... 『ケンプェル江戸参府紀行』(元禄3年・1690年) 「昭和初期の訳本やからむずかしい日本語やな〜... 「榕庵が生まれたのが1798年。 「ぜんぶネエ〜... けど、けっこうありまっせ!ホンマ!」 ...てな具合で、まずはケンプェル江戸参府紀行から、読み始めることとしたタカシであった。
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まず、見開きに江戸参府一行の行列の絵があった。
矢印がケンプェルさんです。
「ケンプエル江戸参府紀行」上下巻、呉秀三訳注、雄松堂書店発行より
「珈琲」や「医者」など、気にかかる単語を見落とさないよう、隅から隅まで注意深く古い文献を読むという作業がこんなにしんどいものとは..... 食事の場面、面会の場面、おみやげの場面などはもちろん、ちょっとした休憩の描写に珈琲が出て来るかもしれないと思い、一文字一文字を指でなぞるように読んで行くと、あっという間に時間が過ぎてしまう。 残念ながら私が見た限りでは、珈琲の文字も医者の名前も、ケンプェル江戸参府紀行にはみつからなかった。 せっかく一生懸命探したのだから、ちょこっとだけ珈琲の登場しそうだった場面を紹介させてください。 宿にやってくる使者に対して、どのように応接したかを記述してある部分です。 「長崎商館長(カピタン:甲比丹)は、使者に煙草道具の他に と、あります。 接客した医者や学者の名前も、具体的なものは見つかりませんでした。 食事の場面では、ひょっとしたら江戸までの旅にコーヒーを持っていったのかも? 「私たちオランダ人は、日本人たちの食事とは違い、私たちの食卓へすわり、携えてきたものを食べ、食事は随行している日本人の料理人にヨーロッパ風に調理させた...」 こんな描写です。 しかし、残念なことに、食後にコーヒーを楽しんだとは、一言も触れていないのです。 「せっかく全部に目を通したのに、残念だよラッキー!」 「まあ、そう簡単にみつかるかいな! 「そうか! ええっとちょっと待って... 「そうでしたな、では教えたげます。ドイツにコーヒーが伝わったのは1670年。 「そうしてみると、ケンプェルさんはわざわざ日本でコーヒーを飲むほどコーヒー好きでなかったかもしれないね?残念ながらコーヒーは出て来なかったけど、今から300年も昔の日本を外国の人がどのように日本を感じたか、なかなかおもしろい本だったよ!」 「じゃ〜その調子で、次のツンベルク江戸参府紀行へいってみよう!」 「ソウクルワケネ....?!」
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コーヒーの文字を捜す地道な作業を試みるタカシ
さて、その成果は実るのでしょうか...?
次回、ついに!