第38話「津山洋学資料館 その3」
「すいません。うちには『哥非乙説』の原著もコピーも無いようです。 <残念! どうしても見たかったのに... どこに行けば見れるんだろう...?> ---コッヒイせつ 哥非乙説--- 宇田川榕庵による稿本。一巻一冊。成稿年は文化13年(1816年)である。 「現在、稿本の所在は不明か...? 残念だなあ〜」 「わかんないんじゃ〜しょーがないね。 それによるとやなー、 大槻玄沢が厚生新編の為にコーヒーの図解を必要とした際 .....というこっちゃ!」 「コラムに書いてあった厚生新編のことも哥非乙説のこともだいたい事実確認ができたから、次に調べないといけないことは....、 * 江戸参府をしていたオランダ人一行は本当にコーヒーを持っていたのか? こんなとこだよね〜ラッキー?」 そうはいっても、岡山県の洋学者宇田川榕庵が残したコーヒーに関する資料は今見てきたぐらいで、それ以上の情報を獲得出来る資料は簡単には見つかりそうもなかった。 「榕庵の哥非乙説の背景となった、オランダ人とのコーヒーに関するかかわりなんかを記述した資料などはないでしょうか?」 だめもとで、もう一度係の女性に聞いて見たのだが... 「そうですねぇ〜...コーヒーに関する資料として登録されているわけではありませんので、これ以上は分かりかねます。 「...................そうですよね〜.................トホホ... どうも、ありがとうございました。」 「念のために、宇田川榕庵に関する洋学辞典のコピーをとっておきましたのでお持ちください。」 そう言って、2枚のコピーを手渡して下さった。 ここでも本当に親切にしていただいた。 しかし、どうやれば、調べられるのだろう...? 「洋学者の資料にないんやったら、オランダ人の資料から探ったらええやんか!」 車に乗り込んですぐのラッキーからの提案だった。 「と言うと...?」 「榕庵が、オランダ人つまりカピタン一行の江戸参府を訪ねている事は確かなんやろ...?」 「そうだよ! 「せやったら、そこに居合わせたオランダ人が書き残している資料を調べたらええやんか!」 「そんな記録が残ってるの...?」 「はいな! 同じように、長崎にきていた商館長、つまりカピタンが江戸の将軍に接見しにいった記録として、いくつかの江戸参府紀行が残ってますねや! 奥山儀八郎先生の「コーヒーの歴史」には、この4つの江戸参府紀行のことがのってませ!」 『ケンプェル江戸参府紀行』(元禄3年・1690年) 「なるほど〜、さすがやねえ〜ラッキー。頼りになるわ!! 「残念ながら、儀八郎先生の本には江戸参府の榕庵の事にはなにも触れてませんな...」 「ええ〜?」 「コーヒーの事に関してはかなりの部分を抜き出して記述されてますけど、江戸参府における榕庵の事は何にも書かれてませんわ。」 「じゃ〜どうするの?」 「自分で調べるんですがな!」 「どうやって?」 「江戸参府の資料を隅から隅まで調べたらよろしい! そう言うとラッキーは、インターネットにアクセスし文献のありかを調べ始めた。 「まあ、こういったマニアックな文献はやっぱ大学の図書館でっしゃろな〜...」 Webcat 言う、全国の大学の蔵書をまたたくまに検索できる素晴しいホームページが存在しており、ラッキーはあっという間に、江戸参府だけでなく様々なキーワードで検索し、複数のヒントになりそうな文献をリストアップしてくれた。(ちなみに、Webcat のURLは http://webcat.nacsis.ac.jp/ です) 「なんと、タカシ! 4冊ともタカシの母校の岡山大学にありまっせ!
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榕庵は本当に江戸、長崎屋でコーヒーを飲んだのか?
真相解明のため岡山大学図書館へ向かったタカシとラッキー
果たして真実は明らかになるのでしょうか?