第37話「津山洋学資料館その2」
「すいません、岡山の県立図書館で教えていただいて訪ねてきたのですが......」 私達以外に見学者はなく、それほど忙しそうな様子でもなかったので、先ほどの受け付けの女性に聞いてみることにした。 私は県立図書館でコピーしていただいた『近代科学をひらいた人々』-岡山の洋学者-の1ページを見せながら、宇田川榕庵の書いた「哥非乙説」について調べに来た事を説明し、協力をお願いした。 一通り私の目的の説明を聞き終えると、奥の席にいた初老の男性が受け付けの女性にこう話しかけた... 「たしかだいぶ前じゃけど、**君が友の会のコラムにコーヒーについて書いとったことがあったろう...? 見たことねえ〜かな〜##さん?」 「そうですね〜........ あっ、ちょっと待ってて下さい。捜して見ますから...」 私に向き直ってそういうと、係の女性は席の後ろの戸棚を捜しはじめてくれた。 「これなんですけど...」 と、一冊の会報誌のようなものの、あるページを開いて手渡してくれた。 『友の会だより-第5号 洋学コラム 「珈琲について」 下山純正』 と書かれたページだった。 「今日はこれを書いた学芸員がお休みなので詳しい事はわからないんですけど、なにかありましたら調べますから何でも聞いて下さいね...」 「ありがとうございます。じゃ〜ちょっと見せていただきます」 コラムの概略はこんなふうだった...
津山藩医宇田川榕庵の初期の試作に「哥非乙説」があります。
「そうだね、このコラムからわかったことは......まとめてみるとこんな感じかな? 確かに宇田川榕庵は、哥非乙説を書いている。 どうだいラッキー、これから順番にこれらを確認して見たらどうだろう?」 「せやね〜...事実部分と想像の域を出ない部分がごちゃまぜやさかい、納得がいくまで確認して見たらええと思うわ!」 「よ〜し、じゃ〜せっかくここまで来たんだから、まず<哥非乙説>や<厚生新編>の哥非乙に関する部分の資料を見せてもらおうか?」 もう一度受け付けの女性の所に行って、哥非乙説や厚生新編の哥非乙に関する資料の閲覧をお願いして見た。 しばらくすると、大切そうに紙に挟んである資料を抱えて持ってきてくれた。 「これが厚生新編の原書なんですけど、いろいろな資料館に保管されていまして、お尋ねの哥非乙の部分はこちらにはないようです。関係ない部分でしょうけど、参考に見ててください。」 そろっと机に置かれた資料を見るため、慎重に挟んである紙をめくってみると... 「うわ〜、すごい虫喰いの穴だらけやね〜 けど、えらい年代もんでっせ! 貴重な資料やな〜!」 「筆を使って墨で書いてあるから、なんとなく昔のにおいがするようだよ!」 いくぶん興奮ぎみにやり取りをした私達だったが、その資料に書かれていることは何も解読できなかった。
「原書ではないんですが、コピーがありましたので見てください。」 係の女性がそう言って、次の資料を持ってきてくれた。
「これこれ!これが厚生新編の28巻の哥非乙の部分や! けど、いっぱい書いてあるなあ〜」 「コーヒー博物誌で伊藤博先生は、厚生新編について、こんなふうに書いてはります...」 ショメールの「家事百科辞典」の仏文原著のオランダ訳書「ホイスホウデレーキ・ウォールデンブーク」は幕府の最も重視する資料の一つで、1811年(文化8)から1845年の幕末の作業中止まで34年間かけての翻訳活動の中心をなした。それが『厚生新編』である。 *コーヒーの実、花、果実、精製法など植物学の内容。 などが、詳細にわたって論述されていた。 「どうしてそんなに詳しいのラッキー? 岡山の事は記憶にないはずじゃ〜ないの?」 「岡山の事として記憶されていないだけで、『厚生新編』としては情報があったわけですわ。 <なるほど、そういう訳か...>と、少し心強く思えたタカシでありました。 パラパラと難解な『厚生新編』の哥非乙に関するページをめくっていったタカシの手が止まった。 「あった、あった! これだよねラッキー!」 まちがいなく「宇榕庵の考」の文字が確認出来る! この部分の翻訳は大槻玄沢か宇田川玄真によるもの、たしかに榕庵の考証として、淡くてかすかに甘くて油気が多いとする筆跡はあった。
こうなると、どうしても榕庵直筆の『哥非乙説』が見てみたい! 待ちきれずに、遠慮もせず聞いて見た! 「榕庵が書いたとされる『哥非乙説』も、ここにあるんでしょうか?」
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岡山県立図書館でもらった一つのヒントを求めてやってきた津山で、
1800年代の前半に書かれた資料の中にコーヒーの味について書かれた
事実を突き止めた!たしかにこんな昔に岡山県人がコーヒーを飲んで
いた。そして、そのことを資料として記録してくれていた。
次回、榕庵直筆の『哥非乙説』はみつかるのか?