第22話「東インド諸島への伝播」


アラビアからのコーヒー貿易の主人公となることに成功したオランダが、
次に目指したものはオランダ領東インド諸島でのコーヒー栽培であった。



「オランダは植民地でのコーヒー栽培を始めるために、モカから生豆を運んで育てたの...?」

 ラッキーに聞いて見た。

「初めての土地での栽培に生豆からというのはちょっと難しかった思います。
 まず最初は、苗木を移植することにトライしたみたいやね。
 それにモカから東インド諸島までの距離は遠すぎてリスクが大きかったから、出来る限り近いところから持っていこうとしたみたい。」

「それは、いつ? どこで?」

「コーヒーの発芽能力をなくすために熱湯につけたり乾燥させたりして、他国への流出を懸命に抑えていたアラビア人も、メッカへ来る何千人という巡礼者をしらみつぶしに調べ上げる訳にもいかなかったみたいで、とうとう1600年頃コーヒーを持ち出して違う土地に移植させた巡礼者がでてきましたんや!

 名前は、ババ・ブダン。 
 インドはデカン高原の南端部に位置するマイソールの山中にあるシクマガールというところに最初の移植を行なったといわれてます。

 現在この地方の原住民によって栽培されているコーヒーの木は、このババ・ブダンがもたらしたものに源を発しているといわれてますねや!」

「なるほどネ。で、このインドのコーヒーの木が、東インド諸島に運ばれたの...?」

「そういうわけ!
 1696年、アムステルダム市長ニコラス・ヴィッセンが苗木の輸送を勧告しよりました。
 苗木を運んだのは、インドのマハバールの司令官アドリアン・フォン・オメン。
 マハバールのカナヌール港からジャワ港まで運んでます。
 その苗木は、バダビア(現ジャカルタ)近郊のカダワン農園に植えられたと伝わってまんな。」

「それが、オランダ領東インド諸島でのコーヒー栽培の元祖というわけやね?」

「残念ながら、当時のコーヒー栽培はそんなに甘くはありましぇ〜ん。
 運が悪かったんやろうけど、何回も地震と洪水に襲われてしもうて、カダワン農園は壊滅してしもうたんや。」

「ふ〜ん... それじゃあ、東インド諸島ではコーヒー栽培なんてできるわけない...っていう話しになっちゃったんだよネ?」

「ここがオランダのすごいところやと思うねんけど、なんと3年後の1699年に全く同じルートでトライした人がいてますねや。

 名前は、ヘンリクス・ザルデクローン。
 後のジャワ総督になったっちゅう偉い人です。

 このおっさんは、コーヒーの挿し木を持ち込んで栽培に成功しよりました。
 結局、このコーヒーがオランダ領東インド諸島すべてのコーヒーの木の原木(var.typica)になったっちゅう訳やな!

 そして、1711年。
 ついに、念願かなって商業ベースでの最初のコーヒーの荷物が、ジャワからアムステルダムへ到着したというおはなしや!」

「なるほどネ。
 オランダという国は、当時のコーヒー栽培の伝播に関しては本当に主導的な役割を演じた訳だね。」

オランダのおかげで、アラビアから現在の世界中のコーヒー生産地へコーヒー栽培が広がり、今こうしてコーヒーを気軽に楽しむことができるようになったんだなあ〜...と考えながら、うなずくタカシであった。

「ちなみに、オランダ最初のコーヒーハウスは、ハーグでオープンし、続いてアムステルダムやハーレムでも開店してます。
 不思議なほど、オランダでコーヒーハウスはスムーズに受け入れられましたんや。

 いままで見てきたように、どこの国でもコーヒーに対する迫害の歴史の一つや二つはあたりまえやったでしょ?
 しかし、面白いことに、オランダの歴史の中でコーヒーに対する偏見がはびこったことなど一度もなかったんですわ。
 貿易や栽培に次々と成功をおさめていった背景には、こんなオランダ人の特色が大きな影響を与えていたんとちゃうやろかな〜なんて思います...イヤほんま!」

「僕たち日本人からすると、コーヒーといえばブラジルをすぐに思い浮かべるけど、中南米にコーヒー栽培を伝えたのもオランダ人なの...?」

ちょっと日本への道のりからはずれて遠回りになると思ったけれど、どうしても気になったタカシはラッキーに尋ねて見た。

「う〜ん、間接的にはオランダの影響は無視出来まへんけど、話しとしては

< 一人のフランス人と、一組の不倫カップルの功績 >

 ........といったほうが、おもろいやろね〜...」 ニヤっと笑いながらラッキーは続けた...

 

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さてさて、日本を目の前にして、ちょっと寄り道となってしまった
ラッキーの話しは、次回のオタノシミということで............................

日本伝来はもうちょっと待っててください。