第12話「トルココーヒーよりチャイが好き?」


トルコの玄関口「アタクチュル空港」に、私を迎えてくれる人はいなかった。

そう、今回はガイドを前もって頼んでおかなかったのだ。
初めてガイド無しでコーヒーロードを旅したくなったからだった。

<なんせ、人に頼ってばかりだったもんな〜...>

思っていたよりはるかに清潔で快適な空港に元気が出た私は、荷物を受け取ると空港ビルを抜けイスタンブールの空気を身体全体で思いっきり吸い込んだ。

<気持ちいいジャン!>

乾燥しているのか、遠くの空まで澄みきった空気はとてもおいしい。

さて、目の前にはお決まりのタクシーの群れ。

<おそらく最初のコーヒーハウスがあったはずの、古い町をまず訪ねてみよう!>

ありがたいことに、トルコの公用語はトルコ語だが、小学校からみんな英語を習っているようで、私の英語でなんとかなりそうだった。
まずは、空港の案内で地図をもらい、旧市街地までの行き方を教えてもらった。

「空港バスの乗り場が空港出口のすぐ前にあります。それでアクサライまで行きなさい。交差点を右に曲がるとトラム(路面電車)のラーレリ駅があるのでそれでシルケジまで行けます。」

もっとも安上がりのこの方法を選んでバスに乗り込んだ。順調にトリムの駅もみつかり待っているとシルバーメタの未来的なかっこいい車両がやってきた。

日本のチンチン電車を想像していたのだが、これには驚いた。

<クラッシックな方が似合ってるよな〜?>正直な感想であった。

旧市街地についた私は、「まずはトルココーヒーでも飲みながら一休み」と喫茶店を捜した。
どうせ入るなら観光客向けでなく、地元の人達に人気のありそうな素朴なところを捜した。チャイ

チャイハネと呼ばれている喫茶店にはいると、メニューにあるのは「ネスカフェ」の文字。
聞いて見ると、トルコの人達はあまりコーヒーを飲んでいないようだ。
生活に密着している飲み物は「チャイ」とよばれるお茶であった。

「なぜ、コーヒーを飲まないのですか?」と、素朴な疑問をぶつけると、

「高いから」という答え。

どうやら嫌いと言うわけでは無いらしい。

「最初にコーヒーハウスができたタクタカラというところに行きたいのですが、場所を教えてください」

「知りません。スイマセンがコーヒーの事は詳しくありませんし、そのタクタカラも解りません。」

まあ450年も前の話しを誰もが詳しく知っているはずもなく、そこはあきらめてコーヒー豆を売っているところを捜しにバザールへ行くことにした。

観光客でごったがえすグランバザールを避け、庶民的なエジプシャンバザールを目指した。

どこの国も同じで、観光客が押し寄せるところは値段が高く、スリも多そうだ。
親切にも安い買い物ができるからと、チャイハネのお客さんがエジプシャンを教えてくれた。

山のような香辛料や日用品でいっぱいのバザール。
さがせどさがせどコーヒーは見つからない。
チャイはいくらでも見つけられるのに。

どんどん奥に入って行くのが不安になってきた。治安が悪いのではない。
広すぎて元の場所に帰る自信がなくなってきたのだった。

あきらめかけていたとき、香ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐった。

飲み物の中で特別コーヒーだけが大好きというわけでもなかったのに、まるでお目当てのブランドを探し当てたかのように胸が踊った。不思議なものである。

匂いを頼りに奥へと入っていくと、あった、あった、たくさんのコーヒー豆を大きな鍋のようなもので煎っている。(本当は丸いドラムの中で熱風で焙煎し、この大きな鍋みたいな入れ物で冷ましているそうだ。)

焙煎機械かな?ここのおじさんなら、タクタカラを知っているかもしれない。

同じ質問をしてみた.....

「...............???」

残念ながら、同じ答えだった。


タクタカラという私の発音のせいかもしれない。
スペルもわからないのだ。

残念ではあったが、タクタカラはあきらめて、トルコのコーヒーについていろいろと聞いてみることにした。

おじさんは、私が日本からアフリカ、アラビア半島とコーヒーを辿って旅をしてきた話しをとても楽しそうに聞いてくれた。そして、トルコの昔のコーヒーハウスの様子を知ることができる資料を見せてくれた。

そこに載っていたコーヒーハウスは、非常に豪華なものだった。

おじさんの話しは次のように展開した。

コンスタンチノープルに1554年にダマスカス出身のセムシとアレッポ出身のヘケムという2人の男が初めてコーヒーハウスを開いたそうだ。

2軒とも非常に豪華な作りで、内装や家具も贅沢で雰囲気もよかったから格好の社交場となったようだな。(詳しくは上の写真をクリックしてネ)

メッカやカイロと同じように、コーヒーを飲みながらタウラという西洋すごろくなどで結構楽しんでいたようじゃな。
ところが、そのうちトルコの人々は新作の詩を披露したり、意見の交換の場として利用しはじめたといわれておる。

当時コーヒーハウスは「メクテブ・イ・イルファン(知識の学校)」という別称で呼ばれた。
のちにヨーロッパで花開くコヒーハウスの原形がここに見られるという訳だな。

ここには、世界各地から訪れる商人や旅人はいうに及ばず、司法官を目指す若者、地方の役人、教授、宮廷人、権力者、港湾責任者など、様々な人々が集まったそうな。

「当時のトルコの大衆にコーヒーは指示されたということでしょ?...だったらどうして、現在のトルコの人はあまりコーヒーを飲まなくなっちゃったの?」

私のそんな質問に、口髭をピクピクさせながら、おじさんは話しを続けてくれた...

 

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