「ジリジリリ〜ン」 けたたましい電話の音。 <うるせえなあ〜>一瞬ここがどこなのか判断に迷った。 「あっ!」 時計をみると11時を10分過ぎていた。 「時差をわすれてた!」(時差は6時間もあるのだ) おもわず叫んでしまった。とりあえずうるさい電話の受話器を取った。 「おはようございます。早くしないとおくれるよ。ロビーで待ってるよ。」 アベベだった。確かに早くしないと遅れるとアベベは言った。 「おはようございます。」アベベの笑顔を見て落ち着きを取り戻せた。 「おはようさん。遅れてごめん。ところで今何時?」一番気になっていた事をまず聞いて見た。 「今は、早朝の11時20分で、ヨーロッパ時間では5時20分です。」 「えっ?」 「だから、エチオピアの時間では早朝の11時20分で、ヨーロッパ時間では5時20分です。早く行かないとバスに乗れなくなる。出発、出発。」 ピアッサから長距離バスのターミナルまでは乗り合いワゴンで行くことにし、どうしても理解できなかったアベベの言葉の謎解きをワゴンの中でしてもらった。 エチオピアでは大半の国で使用している西暦とは異なる「ユリウス太陽暦」が使われている。 この複雑な時間に時差が加わるのだ。 「ワラジ!と大きな声で言って下さい。ワラジです。」アベベが耳元で囁いた。 「何なの?ワラジって?」私もひそひそ声でアベベに聞いた。 「もうすぐバスターミナル。降りるときワラジ。言って、言って。」 「ワラジ!ワラジ!」 ワゴンは速やかに停車した。 バスは思っていたより数段高級な、きれいなベンツだった。 しかし日本のバスと比べていくぶん小さめである。 長距離バスは早朝出発し夕方までに目的地に到着する。 アムハラ語でなにやら話しかけてきたおばちゃんに、アベベは快く席を譲ってしまったのだ。 <なんという美談なんだ>などと私は感心などしなかった。 よく見るとほとんどの座席が当然のように1人分増えていた。 席と席の間が狭い上に定員オーバーでギュウギュウのままの長距離ドライブは180Cmを超える2人の男にとってありがたくない状況であったが、なにやらニコニコと話しかけてはお菓子や果物をつぎつぎと差し出してくれたオバチャンを憎む気にはならなかった。 きれいに舗装されたアジスの町を出発し一路ジンマへとバスはすべりだした。 昨日できなかった、これからの行程の希望をアベベに説明した。 「行って見たいところや知りたいことが沢山あるんだ。 「ジンマの町から奥地の村まで行ったネ。そこの村に野性のコーヒーがあったよ。村では農園でコーヒーの栽培をしていた。採れたコーヒーは町までロバに乗せて運んでた。ジンマの町で計量してハラールへまとめて送るといってた。ハラールは人が最初にコーヒーを栽培した町だと研究家はいってたネ。」しっかりとアベベは覚えていた。 「ハラールからコーヒーはどこへ行くの?」 「となりのイエメンの港からアラビアに船で運ばれるよ。ハラールは昔からコーヒーの集積地として栄えた町だから、ジンマの次に行くといいね。」 アベベは最高のガイドだった。エチオピア人がみんなコーヒーに関してこんなことまで知っているはずもなく、偶然とはいえアベベのおかげで私のエチオピアでのスケジュールは簡単に決定した。 「ところで、最初にコーヒーを発見した人が誰かということは知ってる?」 「羊飼いのカルディーが見つけたよ。アビシニア高原の野性の木の実を食べて興奮している羊を見て自分も試して見たら全身に精気がみなぎったといわれているね。1500年ほど昔の話。」 後になって解ったことであるが、アベベの話はキリスト教徒の間で信じられている伝説で、イスラム教徒に言い伝えられている伝説は別のものであった。(右の絵はカウディーと羊たちを描いたもの) それは、アラビアの回教僧オマールがイエメン山中に追放されていたとき、鳥がついばんでいた赤い実を食べたところ疲労が癒えたという伝説で、1258年ごろとされている。 (左の絵は回教僧オマールと鳥を描いたもの) 「コーヒー」という言葉の由来に関してもやはり2通りの説がある。 今では煎じて飲むことがあたりまえのコーヒーも、初期のエチオピアでは果肉のみを食べたり、豆を石臼で挽いたそうである。 今から1000年程前、世界で最初に文献に記されたコーヒーは、サラセン帝国の首都バグダッドの王立病院長をしていた名医ラーゼスが書いたものだ。 つまり、コーヒーは最初は薬としてその効能を認められていたのである。 「やっと着いたヨ。ここがジンマね。」 うつらうつらしていた私はアベベの言葉で目が覚めた。
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